11月22日(火)に命の対話「私が、対馬丸を語り継ぐ理由」を対馬丸祈念館で開催しました。
今回のこの対話は対馬丸の生存者である、平良啓子さんの経験を聴くことと、沖縄県と奄美地方を結ぶ戦争を通じた経験共有も合わせて、県民に届けることを目的として実施されました。この講話には計13名の方が参加されました。
今回の講話は、登壇者の平良啓子さんと、その娘である平良次子さん(南風原文化センター館長)がモデレーターとして参加し、親子の対話という形で行われました。
左:モデレーターの平良次子さん 右:登壇者の平良啓子さん
啓子さんは、故郷である国頭村安波から対馬丸に乗るまでに至った経緯や、海の中を遭難し奄美大島の宇検村の方々に助けられるまでの様子を、お話してくださいました。
会場は、対馬丸記念館一階の常設展示室。沖縄の学童疎開の様子・犠牲者の名前と遺影が展示されたスペースを使用しました。
遺影の中には啓子さんのお兄さんやお友達の写真も展示されており、平良啓子さんが講話の冒頭に話していた「これ見るとね涙が出てくるんですよ。あなた生きているんでしょ?何しているの?音をあげず頑張っているの?って呼びかけられている思いがして。平和のためにみんな伝えますからという思いでやっております。」という言葉が印象的でした。
対馬丸が沈んでいく時の船内の凄惨な様子、漂流中の想像を絶するような過酷な状況。聞いていて心が痛むところもあれば、時々、少しくすっとする場面もあり、当時9歳の啓子さんが経験したリアリティに富んだお話に参加者は終始圧倒され引き込まれている様子でした。
講話の最後に啓子さんは「この子供たちが『語れ、語れ』と言うから、私は語らなければならない。戦争をしないように、そのために私は語り継いで、訴えていかなければならないという気持ちになってしまうんです」と、平和への願いや決意をお話してくださいました。
今回のこの講話は、平良さん親子の対話はもちろん、啓子さんと対馬丸に乗って命を落とした方々との言葉に頼らない形での対話を感じられた時間となりました。
会場全体の様子
また、対話の終了後に行ったアンケートではこんな声が寄せられました。
- 戦争を体験した方の生の声を聞ける最後の世代ということを私自身感じているところで、今日の啓子さんのお話は本当に貴重な時間でした。
- 啓子さんの生命力や精神力の強さに改めて驚かされました。「語り継いでいくことを」の重要さをこの頃強く考えていました。啓子さんの強い思いを私も吸収して、もっと学んで引き継いでいきたいと考えています。
- 今日は素敵な企画ありがとうございました。戦後の話などもまた聞きましたら、 第二弾お願いしたいです。
- 今日はとても有意義な機会をいただきました。これからもこんな取り組みを期待しています。
今回取り上げた感想以外にも、ご自身の経験を語り続けてくださる啓子さんへの感謝の気持ちや、その思いを引き継いでいきたいという声、今後の事業への期待などたくさんの感想をいただきました。
また、参加した13名のうち、講話を通して平和への理解が「とても深まった」と答えたのが12名、「深まった」と答えたのが1名という結果となりました。
戦後から77年。戦争を経験された方の生の声を聞くことが難しくなって生きている中、今回の平良啓子さんのお話は本当に貴重な機会になりました。啓子さんの平和を願う熱い思いを私たちが次世代に受け継いでいかなければと改めて感じさせられました。